4.街路樹の歴史

東京の街路樹の歴史

759年(奈良時代) 街道並木の整備について、初めて太政官符が発せられたといわれる。
(畿道七道に果樹並木を植え、旅人の安全、快適な交通を確保することを目的とした)
鎌倉~室町時代 街道の整備に合わせて、並木の植栽と保護育成が行われた。
徳川時代 諸国の街道を拡幅し、道の両側にスギ、マツを主体に積極的に植えられた。

明治元年 5月12日に江戸府が誕生し、7月17日に東京府に改称された。
明治7年 東京で初めて近代的街路樹として、銀座通りにクロマツ、サクラが植えられた。
明治8年 外来種として東京で初めて、内堀通りにニセアカシアが植えられた。
明治11年 1月1日に伊豆諸島は静岡県から東京府に編入される。
明治13年頃 銀座通りのマツ、サクラがヤナギに植え替えられる。
明治21年 東京府の中心部を15区に分けて、東京市が誕生した。
明治26年 神奈川県から三多摩(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡)の移管を受け、東西に長い現在の区域がほぼ確定した。
明治40年 東京市が街路樹用の苗木育成に着手。(イチョウ、スズカケノキなど10種類)
明治43年 新計画により下谷の御徒町通りを皮切りに、栽培された樹木を毎年3,000本ずつ植栽し始める。

大正8年頃 市内の主要道路のほとんどに街路樹は植えられ、震災前には約25,000本になる。
大正12年 関東大震災により、過半数を焼失。約10,000本に。

昭和2年 街路樹の防災上の働きが認められ、帝都復興事業により植栽開始。
昭和10年頃の絵画館前イチョウ並木の写真昭和10年頃の絵画館前イチョウ
昭和18年 東京府は東京都となり、東京市を廃止し、区を東京都の直下に配置となった。
昭和19年 その後順調に本数を増やして、10万本を越える。
昭和初期の剪定作業風景の写真昭和初期の剪定作業風景
昭和20年 戦災により約65%焼失。約10%盗伐により失い、約30,000本に。
昭和30年代 新たな都市建設に向け道路整備も進み、特に昭和39年の東京オリンピックを契機として街路樹の本数も飛躍的に増えた。(昭和40年 約11万2千本)
昭和40年代 自動車の騒音、排気ガス、粉じん等の各種公害の対策の一つとして、道路の緑の必要性が叫ばれるようになる。
昭和47年 学識経験者による「街路樹等調査委員会」を設置し、道路緑化の様々な基準が制定され、植栽可能な道路の96%が緑化された。
昭和63年 「第二次街路樹等調査委員会」を設置。地域にふさわしい個性的な緑の必要性が指摘された。

平成2年 「東京都街路樹マスタープラン検討委員会」発足。道路緑化の未来像と実現のための方法が検討される。
平成10年 「街路樹診断」事業を開始。樹木の健康診断を行うことで、事故などの未然防止に効果。
平成19年 「10年後の東京」で、都内の街路樹を約48万本から100万本に倍増する目標を示した。
平成20年 都内の街路樹を100万本に倍増する事業を「街路樹の充実」事業とし本格実施。
  このコーナーの写真提供は(公財)東京都公園協会より。

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